なくしたものをどこまで観ようか
私の話のようで源くんの話な、私の話。
飲み会あるあるだと思うんですけど。
先日、職場の同期と飲み会に行った時に「あーーーーーーーー」って思うことがあって。逃げ恥で言う自尊心がはぁぁぁあって萎んで。「でも、もう20歳だし?一応大人で、社会人だし?ま、そんなこともあるよね。」って感情を無理やり前に向けてみた。とりあえず笑って、ニコニコしておくことこそが正解だと思ったし、あそこ間違ったな〜と今でも思わない。だって落ち込んだような顔をして気を遣わせたいわけじゃなかったし、なにより源くんの言葉が頭を過ぎったから。
「かっこ悪い、これは恥ずかしいってことを頑張って“やらない”ってだけで、良い人が周りに増えていくから。(中略)顔が変わってくるんですよ、人って。人の顔って、かっこ良くはなれないんだけど、中身が変わることによってその人が変わるでしょ。で、その人が変わると、ブサイクだとしてもブサイクの顔が良いっていう認識にみんななるわけです。その人の顔は良い顔っていうことになる。かっこよくなるわけ、その顔が。造形は変わってないんだけど。そうなると、良い人が周りに増えていって、自然と自分に自信がもてると思います。周りに素敵な人がいるっていう」
引用:http://www.m-on-music.jp/0000165821/
(ラジオ音源探してぜひ源くんの声で聴いてほしい)
「頑張ってやらない。それだけでいい人が周りに増えてくるから」
単純だけどすごく大切なことだと思ってて。自分を卑下して、行き着いた先では周りに対して不機嫌になることってすごくもったいないなって思う。だって、誰かを知っていく時にどこを見るかって、その人自身だけじゃなくて、その人の周りがその人をどう評価してるか、ということもすごく大きいと思うから。だからこそ、小学生で習うような「自分がやられたら嫌なことは相手にしない」がすごくすごく基本。
なのであそこでちゃんとニコニコできて私大人でした。偉いです。()
そこを分かってたから私大丈夫!と思えてたんだけど、飲み会のあと深夜1時半くらいに家に帰ってふとTwitterを開いたんですよ。そしたら、源くんの歌詞bot的なアカウントのツイートが流れてきて。その歌詞が「Crazy Crazy」のサビだったんですけど。
Crazy Crazy 可笑しい心踊れ
— 星野源 bot (@gn_hsn_bot) 2016年11月18日
Crazy くるって ふざけた場所で逢おうぜ
Crazy Crazy 可笑しい頭揺らせ
Crazy くるって どうかしてると笑えば
あのただ優しい 歌声はまだ続く
Crazy Crazy#星野源
この歌詞をふわって読んだ瞬間涙が出て。
あれ?って。今までは、楽しい〜〜〜元気出る〜〜〜って曲だったんだけどな〜?と。ひとりエッジの時に、源くんが神木隆之介くんにアレンジが良いんだってドヤ顔で(褒めてる)言ってた「さっきやったCrazy Crazyももともと暗い曲だったんだけどアレンジで明るい曲にした」っていう言葉もいまいちしっくりこなかったのになぁーー。ほ〜〜〜って、そうなのか〜〜〜って思ってて。でも、やっとその意味がわかった気がした。
私にとってのあのただ優しい歌声は間違いなく星野源で。源くんの歌に救われたとかそういうような感じではなくて、その時のことを「あーーーーむかつく!!」って素直に思えて泣けたというか。なんかそれが、ストんって落ちた。
あと同時に化物の歌詞にもグッときた。
何気ない日々は何気ないまま
— 星野源bot (@hoshigen_bot) 2016年11月18日
ゆっくり僕らを殺す
そしてまた変わらず何も起こらず
一人お辞儀で帰る
ー化物
この曲は今まで自分をではなく、源くんのこれまでを重ねて聴いてたんだけど(自分に重ねられなかったから)、この時はここの2番の歌詞が「超、私。」と思った。
その時にもツイートしたんだけど、源くんの歌詞ってメロディついて聴いてる時は楽しいー!ってなるけど、歌詞だけでぽんってみたら具体的なイメージわかなかったりして。でもイメージがわいてちょっと切なくなったり、励まされたりそんな感じなんですよ。(語彙力のなさが悔しい)
そんな、源くんの言葉や曲で頑張れた一日でした。
結局何を伝えたかったのか良くわからないけど、とりあえず冷静に考えて、20歳で社会人1年目の女の子にこんなこと思わせる星野源って最高にかっこいいと思わない???かっこいいよ、かっこいいんだよ。声を大にして言うよ。
笑顔のようで、色々あるな。この世は。